Artist Interview アーティストインタビュー
造形家 本郷英行 HONGO Hideyuki 横浜美術大学名誉教授
横浜美術大学に就任して11年。平成26年度で退任の運びとなる本郷英行教授に,これまでの半生と作品づくりにかける情熱,学生に向けてのメッセージを伺った。
ものづくりで身を立てたいと思い,デザイン事務所を経て芸大へ
本郷英行教授を美術の世界へと導いたのは,かつて実家の前に位置していた家具作りの工房だった。幼い頃はよくそこへ通い,職人からハンマーを借りては製作の真似ごとを行っていたという。それがきっかけで「ものづくりを生業にしたい」と考えるようになり,工業高校に入学。2年生の時に制作した商業ポスターは,宮城県から表彰を受けるほど高い評価を得た。「思えばそれが,天狗になった最初の出来事です(笑)。その頃は商業デザインに興味があったため,卒業後に上京してグラフィックデザイナー・伊藤憲治氏の事務所に就職しました。そこで半年くらい働いたところで,周りのスタッフに『これからのデザイナーは,大学を卒業しないとモノにならない』と言われ,近くの美術予備校に通い始めたんです。ところが昼間働いて,夜間部で勉強するだけでは受験に間に合わない。それで事務所を辞めて受験勉強に専念し,4回目の挑戦で東京芸術大学に合格しました」

当時は,デザインも工芸も同じ科で学ぶ時代。大学に入学するも学生運動のまっただ中で「まともな授業はなかった」と言うが,一方で本郷教授は様々な人やモノとの出会いから鋳金に魅力を感じ始めていた。その理由はなんだったのだろうか。
「金属の溶ける色。特に金がきれいなんです。800度で溶け始め,溶け切ったら六角形の結晶を作りながら徐々に冷めていく。それが他の金属と違い,非常に面白かった。世界中の人々は,金のあの色に魅せられているのだと思うんですよ」
大学3年生になると現代彫刻が盛んになり,本郷教授も鋳金で大きな彫刻を作るようになった。今ほどでなくとも金は高価な素材だったため,大学の卒業制作展には真鍮を使った270cmもの大きな作品を出品。すると,かなりの高値で買い手がついたという。
「芸大生の作品が,売れる時代だったんですね。他にも大学3年生から大学院2年生まで,お花やお茶の家元さんから定期的に頼まれて茶碗や花器を作り,作品を売っては生活費の足しにしていました」
恵まれた環境の中で,思う存分制作に打ち込む日々。同時に地元・宮城の幼稚園を借りて,夏休み限定の美術予備校を立ち上げるという,学生にしてはかなりユニークな企画も実行した。
「大学の寮で一緒に暮らしていた同郷の同級生と一緒に,アルバイトの一環として始めました。当時は地方に美術予備校などほとんどなかったものですから,告知をすると50人もの高校生が集まったんです。その後,夏だけでなく冬と春,それぞれ2週間ずつ行うようになり,東京でも週に2回,美術予備校で教え始めました」
その頃の教え子の中には「今も芸術・芸能の世界で活躍中の方も数多く存在している」と,懐かしそうに語る本郷教授。時にアルバイトで得たお金を持って新宿ゴールデン街などの繁華街へ出かけ,今や大御所である文化人や芸術家と出会い交友関係を広げることもあったという。「制作活動のインスピレーションには,全然ならなかったですけどね」と笑うが,若くして華やかな世界に足を踏み入れた経験は,大学時代の思い出として本郷教授の中に色濃く残っている。
「何事も楽しむ」マインドで,思いもよらない仕事と出会う
「大学院を卒業すると,家元からの仕事もなくなり,さあどうしよう,と思って広告代理店やメーカーに就職した同級生の元へ営業に行きました。『せっかく制作活動をしているなら,そのまま続けたら?』と言われることも多かったのですが,仕事にしなくては話にならない。100社ほど回って,仕事をくれたのは2社ほど。そんなものでしたよ」

苦労して営業活動をし,最初にもらったのはCM撮影のセット作り。今でいうところの美術スタッフの仕事だが,本郷教授にはそのような経験はなかった。
「『できる?』と聞かれて『できない』と言えば,もう仕事は来ませんから,もちろんやりましたよ。酒造メーカーのCMで,山小屋の中でホットウイスキーを飲んでいる風景を作るべく,つららから何からなにまで手づくりしました。面白かったですよ。それがきっかけで,百貨店で行われる展覧会の装飾やパンフレット制作,新製品の発表イベントのステージ作りなど,仕事がどんどん増えていったんです」
やがてひとりでは手が回らなくなり,会社を設立。38歳の時だった。アルバイトを300人ほど募集し,大規模な街づくりの仕事をコンセプトワークから行ったこともある。会社で採用したスタッフは,8人にものぼった。自分の専門分野を越えてお客様のニーズに応えていくことで,ビジネスマンとしても成功した本郷教授。「仕事はすべて楽しかった。苦しいことは,ほとんどなかった」と話すように,ポジティブなマインドがベースにあったからこそ,それが実現できたといえるだろう。
教鞭をとりながら,再び制作に打ち込む日々

会社を経営していた頃は,仕事を受注した時にそれをどう進めていくか,また限られた資金をどうやりくりしていくかなど,制作以外の仕事にも頭を使わなければならなかった。ゆえに,個人の作品づくりに割ける時間はほぼなかったという。転機が訪れたのは,会社を設立して18年が過ぎた頃だ。
「たまたま横浜美術短期大学(現:横浜美術大学)から,先生として働かないかとお誘いをいただいたのです。それまで学生に教えたり,アルバイトを雇って一緒に働いたりと学生と接する機会が多く『またそういう関わりがあるといいな』と思っていたため,迷いはありませんでした」
就任して11年。その間,教鞭をとりながら「合間を見つけて,これだけ作品づくりに没頭したのは初めて。自分の作品を,作りたかったんですよ,ずっと」と,本郷教授は胸の内を明かした。2014年にはその集大成ともいえる退任記念展を,本学ギャラリーで開催。木や石の素材を使った彫刻や器が,ずらりと並んだ。目を引いたのは,美しい金色だ。
「様々な色を作ってきましたが,金色が一番落ち着きます。見ていて華やかですし,やはり美しい」
いわゆる彫刻の「360度どこからも見られる」という特性を投影し,手におさまるちょうどいい“彫刻”という位置づけで制作した茶器。金の釉薬をかけて焼きながら,美しい色を出すことに苦労もしたが,ようやく満足いく仕上がりになった。
「先日は,都内で個展も行いました。テーマは古代中国で生まれた,季節を表す『七十二候』。日本では七十二候それぞれが短文で表されているので,その短文のイメージを器に投影したんです。いずれは壁に72点並べたら,面白いだろうなと思っています」
作り手にとっても鑑賞者にとっても,自由なのがアート
学生は,一人ひとりが研究者。自ら何かを発見してほしい

本郷教授は退任までの期間,学生とどう向き合ってきたのだろうか。「大学は教えられる場所ではなく,先生と学生が一緒に研究していく場所」という本郷教授の言葉から,その全体像が浮かび上がってきた。
「学生たちには『自分はどうしたらいいのかを考えなさい,そして,私と一緒に考えていこう』とよく言っていました。学生は学ぶ立場ではありますが,それ以上に一人ひとりが研究者という認識を持ってほしいと今でも思っています」
研究を進める中でヒントと出会ったら,そのヒントを使って何かを発見する。大学はそのための現場,と本郷教授は捉えている。自身も大学で,先生に手取り足取り教わったことはなかったという。先輩や先生の手元を見て創意工夫し,わからなければお願いして伺うのが普通だった。「だから私も,授業中にあまり学生の講評をしないんです。学生たちが知らない,私が生きてきた時代の芸術について伝えることはしますが,それ以外は学生の話を聞いていましたね。そして『いい作品を作ったね』と頻繁に褒めていました」
入学時のイメージと,卒業制作のイメージが異なる学生も多数見てきたという。学生たちが自ら何かと出会い,考え,制作しては失敗を繰り返し,成長してきた4年間の軌跡が作品に集約されているからだろう。「もっと自己表現し,プレゼンテーションしなさい。そして周囲の学生はその作品について,コメントしなさい」という本郷教授の教えは,作家としての卒業生たちの基礎にしっかり刻み込まれている。
「アートは作り手にとっても鑑賞者にとっても,自由極まりないもの。『人々にとってアートとは』というようなことは,あまり考えません。アートは表現ですから,その方法は一人ひとり違う。特に見る人は固定観念を持っていることが多いので,視野を広げて色々なものに興味を持ってくれたらと思いますし,生活していく中でチャンスがあれば見る,くらいの感覚でいたらいいと思います」
こんな話もしてくれた。先日,仙台在住の後輩が地元にアトリエを建て,本郷教授の作品も数点所蔵されたという。しかし,津波ですべて流されてしまった。現地に足を運び,きれいに流されたギャラリーの跡地を見て「ああそうか,なくなってしまうんだ」と改めて感じた本郷教授。どれだけ心を込め,長い制作期間をかけても,失う時は失う。作品に限らず,モノには儚さがあるのだ。大切に保管することが大事なのではなく,一瞬の美しさが心を動かしてくれたらアートはそれだけで充分なのかもしれない。「社長業もやったし大学の先生にもなれたし,最後は作家で終われたらいいなと思いますね」と楽しそうに微笑む本郷教授からも,アートの存在意義が伝わってくるように思えた。
「横浜美大通信」2016 Photo:財津はやと/Text:仲野聡子
Profile
本郷英行
HONGO Hideyuki
横浜美術大学名誉教授
1947 宮城県仙台市生まれ
1976 東京芸術大学大学院美術研究科修士課程修了
1976〜1985年 個展(文藝春秋画廊,神奈川県民ホール,マツダ原宿ギャラリー,アートショップ乃村) 4回
2003〜2005年 グループ展など
2011年 SPIRALE「11人の仕事」展(市ヶ谷・山脇ギャラリー)
2012年 SPIRALE「16人の仕事」展(松本市美術館市民ギャラリー)
2014年 個展「七十二候の金彩刻碗と空間」(京橋SILVER SHELLギャラリー)
2016年 七十二候――「うつわ暦・本郷英行展」金彩茶器,酒器(伊勢丹新宿)
2017年 七十二候を彩る金彩茶器・酒器―「宙・或るが,ままに・本郷英行展」(仙台・藤崎デパート)
パブリックコレクション:
北海道滝川市迎賓館,宮城県県行政ホール
豊島区目白一丁目
栃木県小山市間々田公園
神奈川県横須賀市文部科学省海洋センター
メール
contents
七十二候の金彩刻碗と空間
七十二候の茶器・酒器―仙台
七十二候の茶器・酒器
本郷英行の作品一覧
Interview
企画・デザイン:本郷英行
作品撮影:本郷英行
ホームページ構成:藤田眞一
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